208545 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あいすまん

あいすまん

14歳が人殺すのは~

14歳が人殺すのはバカがバカのまま親になったから


最近テレビのコマーシャルでこんなものを見た。休日の昼下がり、コタツに入って父親がごろごろしている。そこに母親が来て「掃除するんだからどいて」と父親を追い出す。父親は文句を垂れながら縁側へ出、寒そうにちぢこまっている。その後姿を見ながら子どもはコタツ布団にスプレーを吹きかける。消臭スプレーのCM。AC(公共広告機構)のラジオCMでは子どもに「絵本を読んで」とせがまれ、父親は「うらしま太郎」を読み始めるのだが、「太郎はいじめられている亀を、見て見ぬふりをしました」と言い、「こんなかんじだよな、今なら」と呟き、子どもは不満そうにする。最後に「そろそろやめませんか、子どもから逃げること」という言葉で終わっている。そしてこれは人から聞いた話だが、中学生の子どもに「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われて「子どもはどうしたらできるの」と聞かれた時と同じぐらいうろたえる父親や、「牢屋に入れられちゃうから」という応えで逃げる父親。
どれも父親でなく父親面した子どもであり、これが現代の父親像を映しているとするなら甚だ情けない。はじめの例などは子どもに無様な姿を晒す前に掃除を手伝うか自分の部屋で寝ればいい話だし、次の例などは子どもの存在が目に入ってないので論外である。CMというのは作り物だから最後の例を取り上げるとしよう。なぜ人を殺してはいけないのか。
誰であれ他人の人生に勝手にピリオドを打って許されるはずはないからだ。中学生が「牢屋に入れられるから」という答えを求めていると思っているのか。人を殺すことは被害者の人生を終わらせ、遺族の人生を狂わすという傲慢な行動なのだということを「自分が殺されたら」と話したり、実例も交えるなどして想像させることが大事だし、ムカつきやキレる衝動を抑えないと自分の思うように生きていけないから、いくら殺したくても殺しちゃいけない、ということを説明すればいいのである。そういうことを聞いてくる子どもというのは中学生ながら親とのコミュニケーションを求めている比較的健全に育っている子どもであるから、ちゃんと理由を説明すれば論理的思考力をつけてたくましく育つだろうし、自分なりの哲学を持つ父親の姿勢を学びたいとも思うだろう。これからは小学校でインターネットを教えるなどという恐ろしい話も出てきているので、情報だけを膨大に仕入れて体系として消化できていない生意気な子どもが増えるのは目に見えているが、そこで論理的思考力を育てないと「人殺しはいっぱいいるからもしかしたら殺してもいいのかもしれない」と思っているときにムカつくことが起こったりしてつい殺し、泣きじゃくって自首する、という破目になるのだ。物事は根拠がある方が強い=正しいのであり、理由や構造を突き止めようとしない子どもが育つと泣きじゃくって自首、ということになる。父親の説明責任は重大。
しかしそんなことは当たり前のことであってどこぞのお偉い哲学者の言説など引っ張ってこなくても言えることであり、「殺しちゃダメ」ぐらい子どもに論理的に説明できない大人は子どもを作ってはいけない。そんなバカ親に育てられた子どもは大きくなったら人殺しになる。その親自体が親から学ぶべきことを残して成長してしまっているから、もう一度親元で扶養されなければならないのだ。親が子どもでどうするのか。「自分のこと大人と思ってないから」と謙遜したり「子どもの気持ちを持ちつづけていたい」といってカッコつける人たちがいるが、自分の幼稚な部分に目をそむけて言い訳する前に大人としての自覚を持つべきであり、そういう既存の価値観の破壊の上になりたった核のない「いいじゃないか」的価値観がこんな世の中にしたんだということを未だに理解してないのかこのバカどもが!といいたい。ポストモダンといって片っ端からパロりまくって構造を破壊して消費し尽くした後何も生み出せなかったからこうなったのであり、構造は破壊するものではなくて造るもの。奇をてらったり、言い訳して凌いで生きるしかない大人が増えたのだ。現代社会を作った中年世代は再教育しないといけない。「親の苦労は子にはわからない」という言葉もあるが、逆に子どもにとって親がどれほど絶対的な存在であるかは親にはわからない。特に幼い子どもの場合、親がどんなにダメ人間でも、である。苦労しているのは親ばかりではないのであり、こんな価値観の崩壊して秩序も体系もない世の中に生れ落ちて自分なりの価値観を築けなかった子どもがいちばん苦悩しているのである。先述の親のように子どもから逃げたり、「キレる14歳」をクローズアップして奇怪な化け物を見るような視線を集中させたりするのでなく、既存の価値観を検証することもなく安易に否定するのがさもカッコイイかのようにもてはやされるという崩壊した現代的価値観が支配する状況に危機感を抱くべきである。なぜキレるのか?って14歳に聞いてもわかるはずがない。こんな世の中に生まれたからであり、事件自体は誰の責任かといえばキレた14歳の責任だが、津々浦々の14歳が皆キレて人を殺すような世の中にしたのは社会を引っ張ってきた世代。普通のこともできないような人間が個性を主張し始めたところからおかしくなったのであり、二世代前の価値観は受け継がれず、もとより破綻したデタラメな価値観を持つ親の元で子は苦悩し、時に暴走する。凡庸でも一人前の価値体系を主張できるまともな大人が重視される世の中になればいいですな。常識しか知らない人間はつまらないかもしれないが、常識すら知らない阿呆よりはよっぽど良いのだ。


宮城隆尋


初出:『沖国大文学』第3号(沖縄国際大学文芸部 2002.3.29)


© Rakuten Group, Inc.